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豊國神社御由緒

豊圀神社御由緒

御由緒

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♦祭神
 

 主祭神は、応神天皇の御尊霊であり、後に息長足姫尊(神功 皇后)、武内宿禰大臣をお祀りしています。

社伝によると、欽明天皇の御代に豊前の国、宇佐神宮に降臨された八幡神を当地にお迎えしたと伝えられ、当社は宇佐神宮の分社です。また古老の説によれば、豊国山の山頂にある大覚寺に、宇佐神宮より八幡神がお出ましされて池庄の社に移鎮されたとも伝えています。

♦社殿

 

 当初は神殿楼閣ともに宏大壮麗であり、幾多の社殿も整然と建ち並び、四方を圧していました。しかし、織田信長の兵火に かかり、社殿をはじめ神宝・記録などが焼失しました。 現在の社殿が復元されたのは1789年です。

歴史的経緯厄除けの起源と例大祭

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♦厄除けの起源と例大祭
 

 天和8年(1622年)、德川第二代将軍秀忠の御代に、出羽国(山形)第14代城主の最上駿河守義俊公が、大森村(現東近江市大森町)に陣屋を設け、当地(1009石)を領有して以来、特に当神社を崇敬されました。
 その子、最上義智公は、父の後を継いで領内巡視の都度に必ず当神社を参拝されましたが、厄年の前年である前厄の41歳の時に、先祖伝来の弓等の家宝を
寄進して、御祭神への敬神の意を明らかにしました。
 その後、最上家では、代々燈明料献上日が正月19日となっていたことから、その月は領民はもとより、領主の行列を拝観しようとする人々の賑わいました。こうした中、御
祭神の霊験あらたかな「御神徳」を得て、御利益が頂けるよう参詣者が増加したため、1月18日、19日、20日が「厄除例大祭」に発展しました。例大祭には、地元のみならず遠方からの参拝者が多数押し寄せ、「厄神さん」の愛称で、各層、各方面の人々から幅広く敬神され、親しまれる存在となったものです。

復活・復興の願いと歩み

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♦神社社殿の復活・復興は、信者、氏子住民の切なる願い

 

 戦国時代、織田信長の兵火により壮麗な社殿をはじめ??・記録等の全てが消失しました。被害に直面した当社殿は、「復活・復興」を願う当時の人々らのたゆまぬ努力により、長い歳月と資金を要したものの、一途で気高い信仰心から世紀と世代を紡いで、神社を廃社にすることなく、見事に復活、復興を成し遂げることができました。

 社殿等の焼き討ちから数えて約200年の歳月を経た江戸時代中期の寛政元年(1789年)、氏子らの献身により現本社殿が復元・建立されました。本殿社屋の建物は、江戸中期の18世紀後期の特徴ある社殿建築であり、今年で235年が経過するところの「東近江市指定文化財」であります。

♦神社が保有する神仏習合の証の「神鐘」の存在(全国的にも稀少)
 

 付近に樹齢が300年を超えるご神木「楠」が存在する「釣鐘堂」には、本殿が再建される以前の300年以上前の江戸時代正徳5年(1715年)、当神社が鋳造・所有した「神鐘」がありましたが、昭和16年(西暦1941年)の戦時下の国策「金属供出令」により、「旧神鐘」は政府に供出されて、戦闘武器に熔解されて国に殉じました(226年間存在)。

 終戦後間もない昭和22年(1947年)、氏子中の熱意と努力により再鋳造した「現神鐘」は、稀少価値の高い復活の神鐘です。

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