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豊国神社御由緒略記

御由緒

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とよくにじんじゃ  やくよけはちまんぐう りゃくれきき
豊圀神社(厄除八幡宮)略歴記
Toyokuni Shrine (Yakuyoke hachimangu)
概說
名称 正式名「豊圀神社」・俗称名「厄除八幡宮」・愛称名「厄神さん」
・鎮座  飲明天皇御代の6世紀半ばに鎮座(約1400年余りの歳月
・所在地  滋賀県東近江市池庄町1518番地
・系譜  全国に点在する4万4000社余りの八幡神社の総本宮・「宇佐神宮」の分社。往古は、「正八幡宮」と称していたが、
鎌倉時代から「厄除八幡宮」と称され、明治2年「豊圀正式に改称される。当社御分霊は、北海道栗山神社
・御祭神(御三神)
おうじんてんのう ほん だ わけのみこと
応神天皇(誉田別尊)
→第15代天皇・朝鮮半島の百済・新羅との交流を進め、渡来人を招き大陸文化を日本に導入して国家を建設

じんぐうこうごう おきながたらしひめののみのみこと
神功皇后(息長足姫尊)→応神天皇の母君、仲哀天皇の妃(皇后)、三韓征伐を指揮したとされる女帝で、武功等に優れた皇后
竹内宿彌大臣(たけうちのすくねのおおきみ)→大和朝廷初期に活躍した皇族出身の高級官僚で、神功皇后を助けて出兵し、長生生きした伝説の人物

歴史的経緯並びに厄除けの起源と例大祭

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辛く、悲しい、怒りの歴史
・神社は、有史以来、当地を治めてきた時の権力支配者の庇護を受けてきたが、戦国時代の元亀2年(西暦 1571年)近江侵攻を果たした「織田信長」の兵火により壮麗な社殿をはじめ宝物・記録等の全てが消失し、灰燼に帰す。
 

・厄除けの起源と例大祭
天和8年(西暦1622年)、德川第二代将軍秀忠の御代に、出羽国(山形)第14代城主「最上駿河守義俊」公が、大森村(現東近江市大森町)に陣屋を設け、当地(約1000石)を領有して以来、特に当神社を崇敬された。
その子「最上義智」公は、父の後を継いで領内巡視の都度に必ず当神社を参拝されたが、厄年の前年である前厄の41歳の時に、先祖伝来の弓等の家宝を寄進して、御祭神への敬神の意を明らかにした。
その後、最上家では、代々が燈明料献上日の正月19日となっていたことから、領民はもとより、領主の行列を拝観しようとする人々の賑わい等から、御祭神の霊験あらたかな「御神徳」を得て、御利益が頂けるよう参詣者が増加したため、1月18日、19日、20日が「厄除例大祭」に発展し、地元のみならず遠方からの参拝者が多数押し寄せ、「厄神さん」の愛称で、各層、各方面の人々から幅広く敬神され、親しまれる存在となったものである。

復活・復興の願いと歩み

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・神社社殿の復活・復興は、信者、氏子住民の切なる願い

戦国時代、織田信長の焼き討ち被害に直面した当社殿は、「復活・復興」を願う当時の人々らのたゆまぬ努力により、長期間の歳月と資金を要したものの、一途で気高い信仰心から世紀と世代を紡いで、神社を廃社・廃絶にすることなく、見事に復活、復興を成し遂げることが出来た。

社殿等の焼き討ちから数えて約200年の歳月を経た江江戸時代中期の寛政元年(西暦1789年)、氏子らの献身により現本社殿が復元・建立された。本殿社屋の建物は、江戸中期の18世紀後期の特徴ある社殿建築であり、今年で235年が経過するところの「東近江市指定文化財」である。

・神社が保有する神仏習合の証の「神鐘」の存在(全国的にも稀少)
付近に樹齢が300年を超えるご神木「楠」が存在する「釣鐘堂」には、本殿が再建される以前の300年以上前の江戸時代中期である正徳5年(西暦1715年)、当神社が鋳造・所有した「神鐘」があったが、昭和16年(西暦1941年)の戦時下の国策「金属供出令」により、「旧神鐘」は政府に供出されて、戦闘武器に熔解されて国に殉じた(226年間存在)。

終戦後間もない昭和22年(西暦1947年)、氏子中の熱意と努力により「現神鐘」を再鋳造した稀少価値の高い復活の神鐘である。

神社参拝・参詣の礼儀作法について

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神社には基本的なマナーとルールがあり、無知なまままお参りするよりも、最低限の神社の正しい礼儀作法を知ったうえで、基本を忠実に守り、楽しく、豊かに、健やかな気持ちで神様にお参りしましょう。〜「萬災厄除」と「開運・祈願成就」をめざして~


| 大鳥居や脇鳥居から参道に入る前に
神社の鳥居をくぐり、神社の参道から境内に入る前には、手前で一礼して、あなたが、これから神様にお参りすることを告げて下さい。

 

2 参道(石畳)の歩き方
神社の境内には石畳の参道があります。この参道は、参拝者の道であると同時に、祀られている神様のお通りになる御道であるため、お参りする者は、石畳の右端は、右足から、左端は、左足から進み、縦一列で通らなければなりません。横一列で広がり複数人が歩行することは、神様の御道を塞ぐこととなるため、許されません。

 

3手水舎(ちょうずや)の利用方法
神様に参拝・参詣することの前提条件として、「我が身を清める」ことが大切であり、神社には、敬神参拝される方が神様にお参りする前に身を清める施設として、「手水舎」(ちょうずや)があります。己の穢れと身体を清めて浄化させることは、神様の前では当然の作法であり、手を清め、口内を濯いで浄化させることは、大切な儀式です。

 

4中鳥居
手水舎を過ぎると、神社の杜の神域に至る中鳥居があります。ここで、再び一礼し、中鳥居をくぐって下さい。神域内には、社務所、拝殿、幄舎、本殿等神社の中枢部分が点在し、神社の重要な建物があります。静寂と厳粛な神の領域への立ち入りです。

拝殿

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5拝殿

拝殿は、ご祈祷を行なう儀式の場所で、神職によるお祓い、祝詞奏上、玉串奉奉奠、巫女の神楽演舞奉奏等の祭祀を執り行なう施設です。神社関係者らの祭典が、粛々と斉行される場所であり、神と人が集う場所として位置付けられます。段は、土足厳禁の場所であり、板張りの床に足袋や靴下姿で上がり、
々と繰り広げられる神社式典の中心施設です。拝殿では、私語を慎持ちで、静粛なる環境を維持することが求められています。

 

6 本殿へのお参り
神様が、御鎮座される館が本殿であり、神社における最重要施設です。段を登ると、賽銭箱があり、神様にお賽銭をお供えします。賽銭箱の
り、参拝者は、本殿前で正対して鈴縄を振って、鈴を鳴らします。

この鈴を鳴らす行為は、自分自身がお参りに訪れたことを告げるもので、「ご神徳をいただきに参りました。」と神様のご注目を惹き、神聖な気持ちを喚起させるものです。
 

7 本殿前での参拝方法
お賽銭と鈴をお供えした後は、黙視、無言のままで願掛けをします。その後、身体と心を整え、「90度二礼・二拍」の参拝方法で神様にご挨拶して、最後に「90度一礼」した後、石段を降りて、その場から離脱します。

 

8 社務所・授与所への立寄りと活用
御神矢、御札(御神符)、御守、御朱印等の神社側から参拝者らに供与される撤饌品(撤下品)は、授与品と呼ばれるものです。神社での撤饌品(撤下品)は、あくまでも授与品であって、一般社会での商品売買や商行為とは一線を画します。

授与品は、神様からの下された「御神徳と御利益」を神社から頂くことを意味するもので、授与品により厄除けを図り、参拝祈願者の平穏な生活を心から願うものです。

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