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豊国神社の「本殿」と「神鐘」について

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池庄町に鎮座します「豊国神社」には、当地の先人から引き継がれる神社習合の名残としての「神鐘」が存在します。

昭和16年(西暦1941年)、政府の「金属供出令」により、戦時下の日本を支える戦時物資として供出された旧神鐘は、300年以上前の正徳5年(西暦1715年)に鋳造されたものでありましたが、戦争の戦闘武器の材料として熔解され、国に殉じました。

現神鐘は、終戦後間もない昭和22年(西暦1947年)に氏子中らの熱意により、長町の「金壽堂」黄地佐平氏により新たに鋳造されて、再び当地で住民らを見守りながら復活を遂げた全国でも希少価値の高い貴重な神鐘であり、今年で77年の歳月が流れています。

​豊国神社は、戦国時代の元亀2年(西暦1571年)に近江侵攻を果たした織田信長の兵火にかかり、壮麗な社殿をはじめ宝物・記録等が消失しましたが、約200年後の江戸時代中期寛政元年(西暦1789年)に氏子らの献身により社殿が復元建立され、18世紀後期の特徴ある社殿建築であり、今年で235年が経過する東近江市指定文化財です。

豊国神社の「本殿」と「神鐘」について

<本殿>

元亀2年(西暦1571年)戦国大名「織田信長」の近江侵攻に伴い。兵火により神社全体が消失して灰燼に帰す

​寛政元年(西暦1789年)氏子らの熱意と努力で再建

<神鐘>

旧神鐘

正徳5年(西暦1715年)に鋳造:江戸時代

​昭和16年(西暦1941年)に国へ供出

​戦時下における政府の「金属供出令」により供出・消失

<神鐘>

現(新)神鐘

昭和22年(西暦1947年)に新鋳造(長町金壽堂にて鋳造)

令和6年の現在に神鐘問題を提起

​ *神鐘館の経年劣化・損傷により早期の対応が必要

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